1970年出版のため脳科学の記述は古いが、現代でも通用する知見を指摘した脳力開発技術の書籍。
目次
書誌情報
書名:創造思考の技術
著者:中山正和
ジャンル:脳力開発
図書分類:007.5: ドキュメンテーション; 情報サービス; デジタルアーカイブ
古い書籍なうえ全般的に得られるものも少ない
1970年出版のいわゆる知的生産系の書籍である。「創造思考の技術」という書名も「知的生産の技術」(1969)を意識した編集が2匹目のドジョウすくいをしたのではと邪推させる。
著者はほかにも経営論など出しているようだが、文章の筋は論理的で読みやすい。理系論文の訓練を受けているので(北海道帝国大学物理学科卒)、文章に出てくる新出の用語はよく定義されていて論旨は追いやすい。
ただ、脳科学がまだまるっきり解剖学頼みだった時代の書物なのでヒトの思考に関する記述は古くささを感じる。また「はじめに」に始まり、本書の内容のほぼ半分が「若い世代との思考方法の違いからくるコミュニケーション断絶」「日本が欧米社会(ここではアメリカがそれを代表する)に比べていろいろとダメであり、またここが強み」といった話で、技術論を読むにしては神経が疲れる。
それでは、あえてこの本を紹介する理由はなんだろうか。
アイデア創出に共通するテクニック
馬上、枕上、厠上という言葉がある。歐陽脩の『歸田録』に記されている話で、それぞれ「馬に乗ってる移動中」「床に入って臥床中」「トイレの最中」の三つの場所が文章を考えるのに一番適しているという。実際のところトイレでいい文章を思いついたという話は個人的には聞いたことがないが、この3つに共通するのは「ぼんやりしている」「ほっとしている」ということだ。
同じような話でビジネス経営論の書物によく出てくるのが、「ひとつの問題にかかりっきりになって熟考を重ねたあと、ふとしたタイミングで解決方法をひらめく」というものがある。根を詰めて考えている最中はどうにも行き詰まりで、それが気を抜いた瞬間にアイデアが天啓のように降りてくる。数学者や物理学者ではこの手の話は有名で、ハミルトンが散歩の途中で四元数を思いついて橋の石に刻みつけたり、アルキメデスが風呂につかった瞬間に密度の概念をひらめいて裸で飛び出したりと、枚挙にいとまがない。
いずれも重要なのは
- ある問題についての論理的思考を高ボリューム(時間、深度)で積み重ねる
- 思索の限りをつくしたあと問題そのものを忘れ、精神が解放されるような時間をつくる
という2点で、このテクニックはわりと古くから知られていたためアイデア創出の実用書ではさらっと紹介されている。「原理はよく分からないが、再現性のある手法は確立されている」という妙なライフハックで、もっとも脳はブラックボックスなのだからそれもしょうがない、とあまりその仕組みについては積極的に探索されてこなかった。
それが本書では脳科学的な説明ができうるモデルが提示されている。「類比による再グループ化」とでも呼ぶ、脳に基本的に備わってる仕組みだ。
まず脳に論理的な線型の情報を入力する
論理的な思考を行うために、一般的な人間はどうも情報を一列にして処理する必要があるようだ(一般的でなかった人間の代表はインドの数学者ラマヌジャン)。人の話を聞くにしろ文章で読むにしろ、論理的な情報は時間軸に沿って並べていくしかない。
ある時間ののちには、少なくともなにがしかの情報が、因果関係をもった形で得られるはずである。因果関係をもつということは、「AならばB、したがってC、それゆえにD……」というふうに、他人に説明できる形でつぎつぎに線的につながっているということである。いま仮に、このようにしてあつめられる情報のことを、論理型線的情報と名づけておこう。
創造思考の技術
この論理的な情報は接続詞という演算子で結合され、脳内にマッピングされる。
ところがこの論理演算子で結ばれた一連の情報は得てして接続が切れやすい。しばらくしておくと一本の論理の鎖だった情報は、ぶつ切りの情報として点在するようになる。われわれは忘れやすいのだ。
誰でも嘆くことだが、私たちは、大事なことはすぐ忘れてしまう。先生の論理の展開をおぼえようと思っても、なかなか思うようにはいかない(中略)論理型線的情報をあらわす横のつながりが切れてしまうということだ。
創造思考の技術
こうして整理されていた論理型線的情報は、バラバラの短冊のように論理型点的情報になって脳内に点在するようになる。
つぎに脳でグルーピングが行われる
この細切れになった論旨のかけらは、脳内に散らばるほかの「似ている」情報と結合される。
このようにして、たくさんの線的情報を得ることになると(中略)情報の数は膨大な量になってくる。膨大な量ということは、当然その中に「同じもの」「似たもの」を含むことになる。つまり、読んだり聞いたりしているうちに見つけ出す「関連情報」のようなもののすべてである。
このような関連情報はたくさんあるが、それは、どういうインデクス、何という本の表題につながっているべきであるかという必然性はない。どこにあってもいい、ただ「似ている」ということだけで想い出される。
創造思考の技術
脳で外部からの一次情報が処理されるときに「(視覚情報の)形、色が似ている」「(聴覚情報の)音階、音色が似ている」といった性質でグルーピングされる。これは視覚・聴覚ではゲシュタルト心理学でいうプレグナンツの法則として知られているが、抽象概念でも似たような操作をしている。
「彼女はまるで薔薇だ」という隠喩が成り立つのがその証拠だ。彼女と薔薇が「美しい」という性質でグルーピングされるからこそ、この比喩表現は思いつくし、また他人にも理解される。
この「類比による再グループ化」は脳本来の機能であるため、論理的な結合よりもずっと強くずっと長く保存される。記憶術でもつかわれているテクニックだ。
そして非論理的な線型の情報が出力される
こうして出来上がったものは、もともとの論理展開とはまるで別物の、非論理的で、一連の情報が「似ている」というだけでつながっている連想の鎖である。それは睡眠時の夢にも似ていて、ひとつひとつの展開はシームレスにみえるが全体的な整合性はない。おそらく一連の流れは並列に、つまり同時多発的に発生していて、連想の鎖は10の何乗もの数が生成されているはずだ。そしてそのほぼすべてが非論理的な思考の流れで結果、無意味である。
しかしそのうちひとつでも「正解」にたどり着いた瞬間、潜在意識は目下の問題とその解決がやはり「似ている」と判断し、同じグループとして結合してひとつにまとめる。
この瞬間こそが「解決策」となるアイデアへのルートであり、ひらめきそのものなのだ。問題意識から出発して無意識下でつなげられた連想の鎖の先にある問題解決の案だ。そしてわれわれは「みつけた!」と叫ぶ。
本書にはそれ以上の情報価値はない
以上が「ひらめき」を説明しうるモデルとなるが、残念なことに著者は自身が偉大な発見をしたことに気づいていない。それどころかこの非論理型の線型な情報の鎖を「よくない思考」と思っているようで、いかにそれを回避するかについて叙述がつづく(そしてその方法が「戦前の偉い先生の講義を受けること」になっている)。
またこの話は本書の最初40ページほどに収まっていて、残りの200ページはあまり情報論としては見るべきものは無い。
ただ「第一信号系と第二信号系」という話題が出ており、これはつまり潜在意識(第一信号系)と顕在意識(第二信号系)のことなのだが、潜在意識を利用したビジネス術、人心掌握術などがいくつか出ている。着眼点は非常によいが、後発のNLPでずっと洗練された形でまとめられているのでそこまで参考になるものでもない。
「類比による再グループ化」モデルの可能性
もう一度アイデア創出の手順をおさらいしておこう
- ある問題についての高密度な思考を重ねて、顕在意識に論理的な線型の情報を積み上げる
- 思索のあとに精神が解放されるような時間をつくることで、潜在意識が「類比による再グループ化」を開始する
この2つの手順のうちに脳内の情報密度がある閾値を超えることで、問題と解決を結ぶ新たなグルーピング、つまり「ひらめき」が発生する。
こうして論理の鎖という可視化とそれを超並列に処理する潜在意識というイメージを用意することで、「ひらめき」が起きやすい条件を探すことができるかもしれない。いくつか試案があるのだが、それはまた別の記事で紹介することにしよう。